「陰影礼賛」を読んで。心憎い描写3つご紹介。

読書録

谷崎潤一郎氏の美しい言葉たち

陰翳礼讃」を読んで見つけた心憎い描写を紹介します!

これぞ言葉を使うプロだと思わされるものです。

幾百年もの古い空気が凝縮した玉

「支那人はまた玉という石を愛するが、あの、妙に薄濁りのした

幾百年もの古い空気が一つに凝縮したような

奥の奥の方までどろんとした鈍い光りを含む石のかたまりに

魅力を感ずるのは、われわれ東洋人だけではないだろうか。」

闇の堆積

「昔からある漆器の肌は、黒か、茶か、赤であって、

それは幾重もの「闇」が堆積した色であり、

周囲を包む暗黒の中から生れ出たもののように思える。」

三昧境

ランダの説より。和洋の唄の違いについて。

「大阪で…老検校の話に…ただ彼らは…何処までも気分本位で

…自分に心行く限り唄おうとするのであろう。

自分では技巧の妙を味わい尽くすことが出来、

三昧境に入れる…。」

自分が楽しむよりも人を楽しむことを主眼とする

西洋流の声楽は、この点において何処か窮屈で努力的で

作為的である。…機械のような気がして、

わざとらしい感じが伴う。だから唄っている本人の

三昧境の心持が聴衆に伝わると云うようなことはない

云っていい。」

↑以下、私が思うことです。

演者はあくまでも自身の無我の境地を追い求め、芸を追求し、

それが聴衆に知れず伝わるというのが芸術である、と。

初めから他人に気に入られることを考えて創られたものは

やはり芸術では無いということなのでしょうか。

現代の日本では、硬派なアート作品よりショービジネスが盛んです。

しかし本来は、他人に受けいれられるものを差し出すのではなく、

己の道を追い求め、それを発表し続けることが

芸の道だった

なぜかしら、羽生結弦くんが脳裏に浮かびました。

かれはこの精神を受け継いでいるようですね。

選曲も「清明」でしたしね。。

おそるべし、谷崎氏の洞察。

「陰翳礼讃」に酔いしれる!

観念的なことはなかなか言葉では表わしきれないのですが、

それをこうも的確に例を交えて説明するあたり

谷崎氏はさすがの天才です。

まあ、私がいうのもおこがましいですが。。

この美しい表現にどっぷり浸かって

もっと読み進めてみたいと思います。

またイチオシの文を探し出して更新しますね。

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