谷崎潤一郎氏の美しい言葉たち
「陰翳礼讃」を読んで見つけた心憎い描写を紹介します!
これぞ言葉を使うプロだと思わされるものです。
幾百年もの古い空気が凝縮した玉
「支那人はまた玉という石を愛するが、あの、妙に薄濁りのした
幾百年もの古い空気が一つに凝縮したような、
奥の奥の方までどろんとした鈍い光りを含む石のかたまりに
魅力を感ずるのは、われわれ東洋人だけではないだろうか。」
闇の堆積
「昔からある漆器の肌は、黒か、茶か、赤であって、
それは幾重もの「闇」が堆積した色であり、
周囲を包む暗黒の中から生れ出たもののように思える。」
三昧境
ランダの説より。和洋の唄の違いについて。
「大阪で…老検校の話に…ただ彼らは…何処までも気分本位で
…自分に心行く限り唄おうとするのであろう。
…自分では技巧の妙を味わい尽くすことが出来、
三昧境に入れる…。」
「自分が楽しむよりも人を楽しむことを主眼とする
西洋流の声楽は、この点において何処か窮屈で努力的で
作為的である。…機械のような気がして、
わざとらしい感じが伴う。だから唄っている本人の
三昧境の心持が聴衆に伝わると云うようなことはないと
云っていい。」
↑以下、私が思うことです。
演者はあくまでも自身の無我の境地を追い求め、芸を追求し、
それが聴衆に知れず伝わるというのが芸術である、と。
初めから他人に気に入られることを考えて創られたものは
やはり芸術では無いということなのでしょうか。
現代の日本では、硬派なアート作品よりショービジネスが盛んです。
しかし本来は、他人に受けいれられるものを差し出すのではなく、
己の道を追い求め、それを発表し続けることが
芸の道だった。
なぜかしら、羽生結弦くんが脳裏に浮かびました。
かれはこの精神を受け継いでいるようですね。
選曲も「清明」でしたしね。。
おそるべし、谷崎氏の洞察。
「陰翳礼讃」に酔いしれる!
観念的なことはなかなか言葉では表わしきれないのですが、
それをこうも的確に例を交えて説明するあたり
谷崎氏はさすがの天才です。
まあ、私がいうのもおこがましいですが。。
この美しい表現にどっぷり浸かって
もっと読み進めてみたいと思います。
またイチオシの文を探し出して更新しますね。
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